志波彦神社・鹽竈神社
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曲木神社の由緒
〜郷右近忠雄著・今野恭一編集
 島の神伝承の話 籬島の曲木神社より〜
 
塩釜観光桟橋から出帆した出船が、左手の最初に出会う小島が、籬島である。末の緑に朱色の鳥居は詩情さえたたえている。
 
海に映えるこの島の姿に接すると、まるで身も心も洗われる思いがする。全て何人のおわしますかは知らねどもである。

ここに祀られるのが塩竃神社十四末社の一つ曲木(籬島明神)神社である。

塩社(塩竃様)の表玄関に当り、海の守り、塩社の海の瑞垣とも申すべき存在であったろうか。
 
わがせこを 都にやりて 塩竃の
     まがきのしまの まつぞこいしき
 
(古今和歌集 東歌)

あけくれば 籬の島を ながめつつ
     都恋しき 昔のみぞなく
     
(新勅選集 源信明朝臣)
 
このように塩釜の浦は、平安の昔、詩情の赴くまま歌枕として詠まれた。
曲木神社と唱えるように籬は曲木と言った。というのは太古この島を杜松の老木が覆っていた。

この木、一木ながら三つに曲がりくねって、その形は三つの島に見えたといい、曲木はここよりきたと語るのは市内吉津在住の小野初司朗氏である。

さらに氏のいうには、古今塩釜の浦辺では、塩土翁神により諸所で製塩がはじまり、人々が集まって浦は平和に集落が出来た。

そこへ害鳥が現れた。この鳥北方は盛岡方面の蝦夷地より飛来した、食料を次から次と襲っては消えた。

このとき、塩社祖神の塩竃様、籬島に籠り、矢を射たところ、怪鳥の眼にささり、怪鳥は暫し湾内をくるくる廻った末、桂島に落ちた。(怪鳥の名はウトウ?とも)

桂島の神は、この矢を抜き取り替わりに自分の矢をさしておいたから、塩竃様から出入を差し止められたという。

この二神姉弟の神とも言われ、ともに海路東北開拓に当地に来られたが、行手の山に危険を感じたか(上陸)弟神のみが先行することになり、姉神は途中の島にふみとどまったと、一連の伝承を聞かしてくれた。

桂島の人々が、塩竃様にお参りしたとき、破魔矢を受け申さぬ習俗があるとは、籬島を取り巻く、こうした俗説に起因したものであろうか。

さて、曲木のこと松島町誌は籬は曲木であってとし、この島に曲がった木ばかりで造った社があり、曲木のお宮と呼んでいたのを後の文人が都風に籬の字を当てた。

また、別の伝説として、塩竃様がこの島を訪れたとき、そこの人達が穴居生活で不潔な暮らしをしていたので、家を建てる術を教えた。人々は曲り木を組み合わせて住んだので「曲木神」の称号を授けたので曲木島となったと書かれている。

曲木神の祭日は八月一日で、祭祀は塩竃神社で行っている。ご祭神は奥津彦大神、奥津姫大神の二神である。

 
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